「散歩していて、たまたま見つけた物件に入居して」
なんていうのはテレビやネットの世界の話だと信じて疑っていなかったのですが、
まさか自分にもそんなことが起こるとは。
オットの定年退職を数年後に控えていた頃、
それからの生活を二人でよく話していました。
その頃に候補に上がっていた過ごし方はこちら。
・京都に住んで古都の街並みを満喫する
・キャンピングカーで日本各地を旅する
なんていう話だったので、
私(タマゴ)は日本国内での移住をイメージしていました。
が、なんと!
オットの考えは日本を飛び出し、海外へと向かったのでした。
え・・・・いいじゃん!
(この時はまだ他人事)
オットはもともと、海外生活もしてみたいと思っていたそう。
色々な国のリタイアメントビザを調べたところ、
東南アジアが好きなことや治安・英語が通じるなどの理由で、
まだ行ったことが無いにも関わらず、マレーシアのMM2Hビザに決定。
申請はマレーシアにある、日本人が経営している代理店にお願いすることになりました。
その代理店とメールで色々とやり取りがあり、必要書類を揃えて提出。
あとはビザの申請が通るのを待つだけ!
その時点では
「3~4ヶ月後には仮の許可が下りそうだから、下りたら本申請をしにマレーシアに行かなくちゃね。」
なんてワクワクしながら話していました。
ところが・・・
私たちの元に届いた結果は
「許可が下りなかった。」
というものでした。
MM2Hビザを管轄する省庁が変わり、
それまでは申請をするとほとんど許可が下りていたものが、
逆に、ほとんどの申請に対して許可が下りなくなってしまったそう。
エージェントからは「今までとあまりにも違う結果なので、もう少し様子を見てみます。」
という話はあったものの、
我が家の雰囲気はワクワクから一気にダウン。
そうこうしているうちにコロナ禍へと突入し、
海外生活どころか、海外へ行くことすら難しく・・・
私たちの頭の片隅にはリタイアメントビザのことはあったものの、ほぼ諦めて東京での日々を過ごしていました。
それから何年か経ったクリスマスイブ。
仕事で移動中のタマゴにオットから
「MM2Hビザの許可が下りた!」
という電話が!
ほんとにほんと!?
その連絡の後、MM2Hビザ取得の条件が変わるらしい、という話もあったりして、
どうして許可が下りたのかエージェントに聞いてみたものの、
運としか言いようがなかったそうです。
以前の、私たちが申請した時の条件で、
なんとかギリギリ駆け込むことができました。
ギリギリ!ほんとに!
そして時期を見ながらマレーシアへ行く準備をし、
初めてクアラルンプールを訪れることに。
東南アジアは気候も食べ物も好きだけど、
実際に行ってみたらどんな風に感じるのか、
楽しみな気持ちと不安な気持ち、
さらにビザ取得のための手続きというミッションが加わり、
二人ともこれまでの旅行とは全く違う、若干ピリついた緊張感とともに、
マレーシア航空機へ乗り込みました。
実際にクアラルンプールへ到着したら、
マレー文化・中国文化・インド文化が混ざったミックスカルチャーに衝撃を受け、
民族も宗教も違う同士がお互いに尊重して暮らしている雰囲気にも衝撃を受け、
それまで訪れた国とは全く違う居心地の良さに感動。
それからはクアラルンプールだけでなく、
マレーシア国内の他の都市も訪れるように。
ある時、ペナン島で滞在したコンドミニアムは、ベランダから海がよく見える部屋でした。
昼間はむわんとした熱気のなか街の観光をし、
汗と埃にまみれて部屋へ帰った後に、
リラックスして海を見ながら飲む、冷えたビールの美味しさが忘れがたく・・・
こんな暮らしが出来たらさいこー!
さいこー!
ペナン島での思い出を心に残しながら
次に訪れたのがランカウイ島。
「海を見ながらのビール、良かったよねー!」なんて話しながら散歩をしていたら、
ちょうど良さそうな物件が目の前に。
なんと。
そこから急展開。
物件を見つけてから入居までの期間は、およそ9ヶ月。
ただし、日本も好きだし、仕事のこともあるし、
我が家にとっては、ランカウイ島に完全移住することはあまり現実的ではなく・・・
まずは行ったり来たりしてみよう!
ということで、初めての「ランカウイ島と東京の2拠点生活」が始まりました。
まだまだマレーシアのことは知らないことが多いけど、
このブログにはマレーシア初心者の私(タマゴ)が実際に体験したことや聞いたこと、調べたことをもとに記事にしています。
マレーシアやランカウイ島を旅行する方や、2拠点生活を考えている方の参考になったら嬉しいです。